物語の結末はいつもHappy End

IPO・M&A・財務・経営企画が専門で経理・人事もできる。今は高齢者福祉の会社に勤務中。Macを使って仕事ができるから幸せ。保護猫コタローと同居中。あと母親と兄貴もいるけど、家にいるときはネコ中心生活。緩い投稿多めだけど、誰かの役に立てると超嬉しい!

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猫の心理から高齢者へのケアを考える

なかなかあり得ない例え話だと思うけど、実際に勤め先であった話。自分でも妙に納得感があったので紹介しようと思う。

1枚の写真

f:id:benzpapa:20200602215009j:plain この写真はコタローが障子を登っていこうとしているところを撮影したもの。まぁ普通の飼い主なら怒るか、降ろすところだろうと思うけど、僕はコタローが助けを求めるまで何もしない。だいたい、このパターンだと「降ろせ!」と訴えかけてくるので、そっと抱きかかえて降ろしている。
問題は(そんな問題でもないけど)、このときのコタローの心理だ。絶対と断言できるが、「いたずらしてやるニャ!」とは思っていない。この写真の少し前から観察していたのだが、障子をジーッと眺めて、突然飛びついて登り始めた。コタローの心理はこうだ!「登りたかっただけニャ!」コタローの目の前に障子があって、そこに登ってみたかった。よく箪笥の上によじ登っていることがあるが、これも別に僕のことを困らせようと思ったり、心配させようと思ってないはずだ。「ちょっと登りたかっただけニャ!」

ということは、環境を整えてあげる必要があると思う

コタローに「障子を登るな!」とか「タンスに登るな!」と言っても、おそらくは従ってくれない。なぜなら、登ることが根本的な欲求レベルにあるので、これを誤魔化したり、抑えることができないからだ。なので、登っても安心できる環境を作ろうと思う。箪笥の上にモノを置かないとか、できるだけ安全に低い床から登ったり、高いタンスから降りたりできるように段差のある家具の配置をしたりするわけ。

これは高齢者福祉にも言えること

まず心が痛むのは「自治体からの徘徊・行方不明者情報」という名のメール。認知症の高齢者が町中を歩き回っているのは決して徘徊ではない。徘徊を辞書で調べると「あてもなく歩き回ること。うろうろと歩き回ること。」に近いことが書いてあると思う。認知症高齢者は町中を「あてもなく歩き回ったり」していない。歩きまわり始めた時点では、何かの目的があったのだ。ただ、認知症だからその目的を忘れてしまうだけである。なので、いたずらに「徘徊」という言葉を使われるのに心が傷んでいるのだ。
ということで、もうすでにヒントが出てしまったけど、猫が障子を登るのは「登りたい」と思ったからだ。高齢者が町中を歩き回るのも、「何らかの目的」が頭の中に浮かんだからなのだ。猫も怒っちゃいけないけど、高齢者にも怒っちゃいけない。猫に言い聞かせても聞かないように、高齢者に言い聞かせても聞いてくれる可能性は薄い。なので、猫には安全に障子を登れる環境づくりをしなければならないし、高齢者には何らかの目的が頭の中に浮かばないように、もしくは頭の中に浮かんでも安全に過ごせるような環境づくりに対して最大限の努力をすべきだと考える。

よくある間違い

老人ホームを運営していると高齢者が居室で転倒状態(正確には転倒の瞬間を見てないのであれば転倒状態とは言ってはいけない。臥位状態である)でいると、その原因を探り、その原因を遠ざけるところからスタートすることがあるだろう。オーソドックスな手順だと思うけど、恐らく間違っている。
例えば、高齢者が自分ひとりで車いすに移乗しようとして、上手に移乗できずに転倒状態で発見された場合。車いすに移乗したがるのが原因ということで、車いすを部屋の外に出したりしていないだろうか。車いすに乗りたいのに、車いすを手の届かないところに置いてしまうと、まず心理状態が不安定になる。次に、車いすの上手に移乗できないぐらい下肢に何らかの原因を抱えているにも関わらず、車いすを探そうとして歩き出し転倒リスクが高まったりしないだろうか。
または、テレビのリモコンを取ろうとしてベッドから転落してしまった場合、リモコンを手の届かないところに置いてしまったり、隠してしまったりしていないだろうか。

環境づくりが最優先

僕はコタローを見ながら、安全にコタローの欲求が満たされるような環境を作ろうと思う。それと同じように、高齢者が車いすに移乗したいのなら、手の届かないところに車いすを置くのではなく、より安全に車いすに移乗できる環境を作るのが先決だと思う。
テレビのリモコンを取ろうとしてベッドから転落したのなら、転落しないようにもっと近くにリモコンを置こうと思う。
そこをスタート地点にしてケアを発想していかないと、永遠に本人のやりたいこととケアの大きな平行線となってしまい、永遠に交わることがないように思う。「離すのが正解だ!」って言う人もいると思うし、そういう人と議論するつもりもないけど、僕は母親に対しても、そういう風に接していて、母親は「ありがとう」も言わない代わりに文句も言わない。ベッドから転落することもないし、床に転倒しているところを発見することもない。 「ありがとう」という僕に対する気遣いをする必要もなく、普通に暮らしていく方法はあるのだと思う。

エピローグ

原因を遠ざけるというのは、ベテランの介護福祉士によく見られる傾向のように感じる。おそらくは自分の経験や、それまで働いていた先輩介護職員の言っていることを、無批判に受け入れてしまっているからなのだろう。でもさ…やっぱ違うよね( 一一)

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