物語の結末はいつもHappy End

ビジネスオンがメインだけどオフも有意義に過ごすことをコンセプトにしています

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友よ安らかに

f:id:benzpapa:20200404154900j:plain まだ若くて希望に満ち溢れていた女性が亡くなった。知り合ったのは10年近く前のこと。当時の僕はTwitterにハマっていて、福岡でTwitterをやっている人をフォローしては実際に会いに行っていた。彼女はそんな中のひとり。
心優しい看護師で、いつもケラケラと笑っている女の子だった。しばらくして、Twitterのやり取りから伴侶を見つけ、幸せな人生を歩みはじめた。相方もTwitter上で僕とは知り合いで、いうなれば知り合い同士の結婚。

そんな彼女をがんが襲った。ステージ3の肺がん。健康診断の胸部レントゲンに影が映っていて精密検査を勧められ、診断確定後に治療になったように記憶している。切除もしたし抗がん剤治療も行い、一度は回復の兆しを見せて元気な姿をみることができた。

ところがガンはほんの些細な隙間を狙って、彼女の体を確実に蝕んでいたのだ。昨年の夏前ぐらいから再び体調が悪化。転移なのか再発なののかまでは知る由もない。僕もガンサバイバー(大したことでないけど)でもあるので、そんな残酷な質問が頭に浮かぶことはない。遠目から応援するだけ。愛する旦那様がいる福岡から、少しでも体の負担が減るようにと実家に戻ってみたり。気候の良い沖縄に行ってみたりしてたようだが、桜が舞い上がる4月1日に天国へと召されたそうだ。

久々に大きな喪失感を感じている。僕も愛する人が突然天国に召された経験をした人間だから、残された家族の心の持ちようを想像するだけで、当時の自分と重ね合わせてしまい心が痛い。少しでも心の準備はできていたのだろうか。
時間がかかると思うが、いつか楽しかった思い出だけが心に残るときがくる。悲しみは乗り越えなくても良い。「悲しみを乗り越えろ」なんてのは何も分かっちゃいない無責任な押し付けだと思う。悲しみに寄り添って生きていくのだ。心の中にはいるのに、現実にはいないという悲しみの中で、どうして良いかわからないままに惰性で生きていくのだ。それが供養で良いと思うのだ。

生きていくのは苦しいものだ。病になれば苦しい。老いても体が痛いことばかり。まだ経験したことはないけど死の瞬間は多少は苦しのだろう。会いたくない人に会ってしまう。会いたい人に会えない。欲しい物ほど手に入らない。欲しくないのに目の前にたくさんある。心と体が正しい自分が考えているとおりに動いてくれない。

生きていくことは、辛いことばかりだけど「捨てたもんじゃない」。
心の支えは少しでよいのだろう。
苦しくても、誰かのために生きていくのなら、誰かの笑顔が見られるのなら、人生は本当に捨てたもんじゃない。
その誰かを失った瞬間なのだ、彼にかける言葉もないが、きっとまた「人生、そんなに捨てたもんじゃない」と思える瞬間が来るだろう。

安らかに眠れ。
君は天国で満開の桜を見下ろしていることだろう。
僕は満開の桜を見上げながら「同じ桜を見ているよ」と君に伝えたい。

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