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ここ最近の痛ましい事件について思うこと

プロローグ

ここ最近、心痛む事件が多いと感じます。
5歳の女の子が虐待の末になくなった事件。
新幹線での殺人事件。
福岡市中央区大名のIT専門家殺人事件。
富山の警察官と警備員殺人事件。

僕なりに考えていることが3つあります。

  1. 残忍な事件は昔から存在していて、今クローズアップされているのはマスコミの発達にほかならない。
  2. 残忍な資質を誰でも持っている可能性があり、その表出には一定確率がある。どのように向き合うのかを考えていかなければならない。
  3. から受けるストレス量は増えているかもしれないが、生きていくことで受けているストレスの絶対量は昔から変わっていない。

1について

私が知っている事件で当時全く報道されなかったケースがあります。ある地方都市の有名企業オーナー家の一家惨殺事件。私はその話を聞いて当時の新聞を調べましたが、どこにも書いてありません。「なぜ、その事件を知っているか?」って(^^ゞその事件に関して、僕の母が取り調べを受けているからです。かようにマスコミに取り上げられることがなければ、どんなにひどい事件でも社会に衝撃を与えることはありません。

2について

この確率が存在している限り、犯罪は人口に比例していくことでしょう。もちろん、貧困、格差、多様性と言いながらも存在し続ける反多様性、差別、人種、教育と言った社会的な課題が増えていくことによって、この資質が表に出る可能性が増大していることも認めますが、こういう事件は残忍な人格の存在確率と表出確率の掛け算だと思うのです。僕が以前、東京に住んでいるときに15分の時間差のおかげで通り魔事件に遭遇しなかったことがありました。この15分は運だと思っています。もし、15分遅くその場にいたら、どういう行動を取っていただろうか?これが「どのように向き合うのかを考える」ということだと思っています。一見、無意味に見える大きめのカバンも役立つかもしれません。TUMIのビジネスバッグを持っていますが、あれはバリスティック・ナイロンですから防刃機能に優れています。今、メインで持っているバッグパックも防刃タイプの素材です。正直なところ、僕は社会が怖い。自分の身を守るための術を身に着けておく必要があると思っています。

福岡市大名の殺人事件をはじめとして、最近の事件の中にはネット社会での恨みがリアル社会に表出してくる危険性を示しているものがあります。不要に他人を攻撃しない。良いか悪いかは別として、必要以上に自分の正義を振りかざさないのも、考えてみるべきなのかもしれません。
Facebookも危険です。僕もFacebookを利用していますが、外出予定を書き込んだりすると、空き巣や外出先を狙われる可能性も否定できません。公開範囲の設定をきちんとしてプライバシーが必要以上に漏れないようにしておくべきでしょう。上手なスルーもネット社会で生きていく心構えのひとつなのかもしれません。

3について

犯罪は社会構造(構成要素でもいいですけど)の変化と無関係というのが、僕の持論です。もちろん反論もあるでしょうから、それを受け入れます。
どういうことか説明しますと、「生きていく大変さは今も昔も変わらず、その質(ストレス攻撃を受ける方向)だけが変化しているのであって、それを受け入れる人間が受容できるストレスの量は増えても減ってもいない」と思うのです。
わかりやすく言うと「景気が良くても生きていくのは大変、景気が悪くても生きていくのは大変。大変なのは何も変わらない」結局は生きていくのに四苦八苦しなければならないという意味において、仏教的な考え方とも言えます。

エピローグ

プロローグで紹介した方は罪の無い方ばかり。それだけに心が痛みます。
この手の犯罪は「ある一定の確率で存在してしまうもの」であるので、犯罪の発生を社会のせいにするのではなく、自分から社会に対してできることを発信することを心がけなければならないのではないかと思いました。 まずは周囲の人に優しくすることをやってみようかな。

では、また次回!

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