物語の結末はいつもHappy End

仕事に関して大切にしていることを書いていこうと思います。それと、少しの季節と、少しの写真と、少しの北九州。

優しさ

面接

この仕事をするまで、優しさについて深く考えるとは思ってもいなかった。
高齢者福祉施設の運営で重要な仕事は人財採用。高齢者施設の箱を立派にして喜ばれるのは家族ばかりである。その家族も毎日来るわけではない、建物が立派でも居室が汚かったら評価は落ちる。ということで、高齢者福祉で最後の切り札は人財なのだ。
ちょっと前まで事務長という役職で、今でも経営企画部長をやっているので必然的に面接は私の仕事。
正直な話、見た瞬間で決めている。面接に来ている人は採用してもらおうと思ってきているはずだ。なので服装も身ぎれいにしているし、「一生懸命頑張ります!」ぐらいのことは言うだろう。本当の実力は働きだしてみないと分からないものだと思ってる。

面接で必ず言うこと

いろいろ言うけど、必ず言うのは「周囲の人に優しくしてくださいね。」
老若男女で面接の中身も雰囲気も変えるようにしているのだ。しかし、この一文に全てを託している。 しかしだ…

一定確率で優しくできない人がいるってことよ

普通の人は他人に優しくできる。その表出はいろいろ。
・厳しさに優しさが出る
・優しさと甘さを混同している
・どう優しくしていいかわからない
上の3つはちょっと困った表出の仕方だが、優しいのは間違いない。ある意味、表出の仕方を訓練すればいい。
しかし、人類には優しくない人がいる

根が優しくない

私は学者でないので、これがどういう因子でどういう確率で人類に現れるのか研究しているわけではないが、ちょっと考えてみたい。 優しくないというのはわざと意地悪をするということでもない。わざと意地が悪いというのは、裏を返せば優しさを何処かに持っている人だと思う。例えば自分の感情を相手に伝わりやすいように表現できないということもあるだろう。これは根が優しいのであって、ある意味発達凸凹のひとつとも考えられる。優しさの表出の仕方について、何かしらの分析が可能な人は指導だったり訓練でコントトロールできるようになると思っている。
しかし優しくない人がいるのだ。優しくできないとは明らかに別な存在である。思考の中に、一般の人が考える優しさがない。優しさの表出が上手くできなかった場合に指導をすると反省するのだが、根が優しくない人は反省できない。例えるならば「優しくするという脳の一部がなくなっている」感じだ。

意外と困ってるの

会社というのは解雇権の濫用を厳しく制限されていて、実際に2週間を越えて雇用をした場合には解雇は難しい。「優しくない」が解雇事由に当たるのか?からして問題である。それと厚生労働省関係の補助金をもらっている場合には自ら足かせをはめているようなもので、解雇すれば補助金はパー。また介護事業所というのは人員基準というものがある。これは常勤(週40時間働く人ということで、正社員非正規社員を問わない)2.5人とか、利用者5人に職員1人とかいうものだ。中には人員基準ギリギリで運用していて、ひとり解雇すればこれを満たさず、閉鎖する道しかない事業所もある。だましだまし雇用を継続していくか、閉鎖するか。問題は「優しくない人」は虐待行為に出やすいので、虐待が発覚すると、それはそれで事業所の存続問題となる。では、最初の面接の段階でみつけられればよいのだが・・・というところで、この投稿の最初に戻るわけだ。
「本当のところは働きだしてみないと分からない!」
最後に、根が優しくない人は国家資格者ばかりという現実があって、いろいろと行政に文句を言いたいわけ。せめて国家資格の試験の中に、適性試験を入れてほしいとかね。性格的不適正であれば国家資格が取れないという風にしてほしいわけ。 難しいでしょ―。。。難しいんですよ^_^;