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物語の結末はいつもHappy End

仕事に関して大切にしていることを書いていこうと思います。それと、少しの季節と、少しの写真と、少しの北九州。

だらだらと「本当に大変なこと」

実は堅苦しい話ではない。

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犬を買うのは大変だと言われる。散歩も連れて行かなきゃいけないし、うんちの世話もしなくちゃいけないし、ご飯もあげなきゃいけない。病気になれば病院だって連れて行く。小型犬を飼うと意外と衣装代もかかる。旅行だって制限される。 飼い始めたら最後、その生命が天に召されるまで守り続けなければならない。

素朴な疑問だが、犬を飼うのは本当に大変なんだろうか。

「大変じゃないよね!」

私も犬を飼っていた。チワワのベンツ君である。間違いなく溺愛していたと思う。それだけに虹の橋に行ってしまったときには、心の底から悲しく思ったものだ。散歩も楽しかったし、うんちの世話なんか嫌なわけがない。ご飯だってあげるし、病気になれば病院に連れて行く。衣装だって自分のシャツの4倍ぐらいの値段のモノを着せていたりする。さらに犬を飼っている人なら伝わると思うが、思った以上に会話も弾む。ベンツ君は九州全県制覇したし新幹線に乗って大阪まで行っている。本当は一度も大変だと思ったことがないが、人から聞かれたら「大変です」と言っていた。

人に「犬を飼うのは大変だ」と言うのはなぜだろう。

私が大変だと言っていた理由は、ひとつには格好つけて「大変なことを自らすすんでやっている」風を醸し出していたこと。そして、「大変ですよね」と聞いてくるので、面倒くさいから「大変です」と同調していただけだ。子どもが犬を飼いたいと親に言う時に、必ず親は「お世話はちゃんとするの?自分のことだってできないのに」みたいなこと言う。全員が言うかどうかわからないが、私はそう言われたし、そういうシーンをテレビでも見た記憶がある。

大変だと思っていないことを大変だと言っているのだが、本当は「大変さ」の本質をはぐらかしているのではないかと思った。

「大変さ」は3つの顔を持つ。まず生活そのものは大変ではなく、生活レベルを維持することが大変ではないか。私もお金がない時代があったが、生活そのものを大変だと思ったことがない。食べるものに困るという大変さがあったが、お腹いっぱいになれば心安らかになった。明日への不安はあったが、それは経済的な不安で働くことで解消していくしかないと思っていた。つまり、犬との生活レベルを維持できるかどうかがひとつの焦点だと思う。

ふたつめは、犬との共同生活に耐えられるかどうかだ。共同生活に耐えられなければ「大変」である。犬がそばにいることでいつもギスギスしていなければならない。これはお互いに不幸だ。犬のことを愛し続けられるのかということにかかっている。ただ、一つ言えるのは、人間との社会生活よりも維持しやすいと思う。なぜかというと、関係がうまくいっていれば、相手(犬)はあからさまな反逆行為に出てこない。飼い主でもない人に尻尾を振るかもしれないが、だからといって飼い主への愛情が失われているわけではない。相手(犬)は惜しみない愛情を表してくれるだろう。人間のほうが複雑で先が読めない動物なのだ。

3つめは「お別れする大変さ」。これは本当に大変である。この大変さをどのように乗り切るのかを最初から想定できない。

犬を飼うことの大変さの本質について語ってみた。なぜかというと、大変でもないことを大変だと言う人が世の中には多いからだ。その理由はそれぞれあるだろうけど、命を預かるということに時間をしっかりと取って、人に「大変だ」というだけではなく、一緒に「大変さ」を考えるとよいのではないだろうかという提案である。