物語の結末はいつもHappy End

仕事に関して大切にしていることを書いていこうと思います。それと、少しの季節と、少しの写真と、少しの北九州。

差別とは

私が小学生から中学生にかけて、福岡県北九州市は「差別をしてはいけない」という教育に熱心だった。いわゆる人権教育というものだ。しばらく時間をおいて30歳を過ぎて社内研修として人権教育を受けたのだが、ずっと一貫して分かりにくいオブラートに包んだ、極めて概念的で退屈な人権の考え方を延々と語る先生方がいるだけだった。30歳を過ぎて私が受けた人権教育がいかに間違ったものだったのか一例を挙げよう。同じように社内研修を受けていた上司が私に言った一言だ。

「日本に差別は存在しません」これにピンと来る人もいるだろう。差別の存在を否定することで差別がなくなると勘違いしている例だ。しばらく時間をおいて、40歳を過ぎた頃に福岡市が行なっていた人権教育を受けたのだが、初めて人権教育らしい人権教育を受けた。そこでの短い言葉が私のそれまでの人権教育の分かりにくさと、差別というデリケートな問題を真正面から捉えきれない社会人のズルさを払拭してくれた。その講師の方には今でも心から感謝している。その方がおしゃっていた差別をお伝えしたい。差別とは「人が嫌がることをすること」だ。人権教育とは「人が人に対して持つ優しさを育んでいくこと」だ。

例えば人種差別、同和問題、在日問題というようなものばかりではない。幼児虐待も家庭内暴力も高齢者虐待も全て差別である。つまり日本には差別が存在する。まずこの事実を認めよう。そして「人のいやがことをしない」と自分に約束しよう。上司の言った一言。それは恐らく「差別する心が存在してはならない」ということを言いたかったのだろうと思う。しかし、その気持ちが社会を正確に捉えていないのであれば、それは発し方を誤ったと言うほかない。

私は大学4年間を大阪府吹田市で暮らした。アルバイトでスーパーのキャッシャーをやっていた。何店舗もあるチェーン店で、中には被差別部落の真ん中にある店舗もある。そこで私が見たのは、まさに様々な「人が嫌がること」だった。それはブログで文字にすることはできない。「人が嫌がることをしてはいけない」と言葉を発して人に伝えるのみだ。従兄弟が大阪で生命保険の営業所長をしているときに同和問題で悩んでいたので、その歴史的経緯を教えたことがある。私の話を30分聞いて、差別を利用してきた人々がいたことと、差別を複雑で難しく考えることに意味がないことに気づいてくれた。

日本の差別の歴史を正確には把握することは難しい。しかし正しい知識を持とうとしないと「日本に差別は存在しません」という無自覚な発言をして、別な意味で人の心を傷つける=人の嫌がることをしてしまうことになってしまう。差別の心をなくすのに難しい理屈は必要ない。ただひとつシンプルに「人の嫌がることをしない」それだけで良い。これから先、私と関わることがあれば、直接に目からウロコが剥がれるような話をしたいと思う。それもできるだけ多くの人に聞いてもらいたいと願うばかりだ。